仙台地方裁判所 昭和33年(行)2号 判決 1960年1月29日
原告 後藤駒治
被告 国・鬼首郵便局長
主文
原告の被告鬼首郵便局長大場義郎に対する訴を却下する。
原告の被告国に対する請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告国は原告に対し、金七、八〇〇円を支払わなければならない。被告鬼首郵便局長大場義郎に右金員の支払義務があることを確定する。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決竝びに給付判決に対し仮執行の宣言を求める旨申し立て、その請求の原因として、
原告は、被告国に郵政省一般職員(公共企業体等労働関係法第二条第二項第二号)として雇われ、宮城県玉造郡鳴子町鬼首原六番地の二鬼首郵便局に勤務し、同省一般職員をもつて結成された全逓信労働組合の組合員であつて、賃金は同郵便局において被告鬼首郵便局長大場義郎から支給されている。同被告は国の郵政事業について原告一般職員を指揮監督し労働基準法第一〇条にいわゆる使用者に該当することはいうまでもない。ところで原告が同法第三二条第一項所定の時間を超え、または同法第三五条所定の休日に労働させられたときは、同法第三七条により通常の労働時間、労働日の賃金合算額の二割五分以上の割増賃金の支払を受けることができる。そして、寒冷地手当、薪炭手当、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当はいずれも同法第三七条同法施行規則第一九条第一項第四号「月によつて定められた賃金」に該当し、なお、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当は同規則第一九条第一項第六号「出来高払制によつて定められた賃金」にも当て嵌まる。従つてこれらの手当も、また、右割増賃金の基礎たる賃金に当たることは一点疑義を留どめない。そして原告は別紙目録(一)記載のように超過労働をさせられたから、その取得すべき割増金は同記載のように金三九、九三三円でなければならないにかかわらず被告らは如上手当は割増賃金の基礎たる賃金に該当しないとし原告に対し僅かに金三六、〇三三円を支給したに過ぎない。よつて、ここに、被告国に対し、労働基準法第一一四条によりその差額金三、九〇〇円の倍額金七、八〇〇円の支払、被告鬼首郵便局長大場義郎に対し右金七、八〇〇円の支払義務が存在することの確認を求めるため本訴に及ぶと陳述し、なお、予備的に「被告国は原告に対し、金三、〇五八円を支払わなければならない。被告鬼首郵便局長大場義郎に右金員の支払義務があることを確定する。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決竝びに給付判決に対し仮執行の宣言を求める旨申し立て、仮に原告が週四四時間を超えてした労働について本訴求することができないとしてもも、被告らに対し週四八時間を超えてした稼労について別紙目録(二)記載の差額金一、五二九円の支払を求める権利がある。しかるに被告らはこれを否認している。よつて、ここに、労働基準法第一一四条により、被告国に対し、その倍額金三、〇五八円の支払、被告鬼首郵便局長大場義郎に対し右金員支払義務の確認を求めると陳述し、
被告鬼首郵便局長大場義郎の本案前の抗弁に対し、「同被告が労働基準法第一〇条にいわゆる使用者として、郵政事業主たる国のために行動する法定の権義を有つ以上、職員たる労働者に対し賃金を支払う責務があり、労働者が同被告にこれを請求する権利を有することはいうまでもない。かように解しないときは、すべての国民に勤労の権利を保障し、賃金の支払及びその機関について詳細な規定を設けた労働基準法の精神が没却されるであろう。従つて、原告は同被告に対し本件割増賃金の支払を求める権利の確定を認める法律上の利益を有し、その反面、同被告がこれを争う権能を有つものといわざるを得ないから、同被告が本訴確認訴訟の被告たる能力を具有することはいうまでもない。」と答え、
被告らの本案の抗弁に対し、割増賃金算定の基礎とすることができない「臨時に支払われる賃金(労働基準法施行規則第二一条第三号)」とは、労使間に予め支給契約を締結せず、紛争解決策として臨時に支払われる賃金を指称し、寒冷地手当、薪炭手当は、予め定められた六箇月間に支給される賃金であるから同規則第一九条第一項第四号にいわゆる「月によつて定められた賃金」に該当し、従つて割増賃金(残業手当)の基準たる賃金に該当する。このことは前掲「郵便」「電信電話」各能率向上手当が、郵政省と全逓信労働組合との協約または協定により、事業の収入に比例して支払われる賃金であるが、協約または協定の締結が年一、二回であるため、一見「臨時に支払われる賃金」または「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金(同規則第二一条第四号)」であるような観がないでもないにかかわらず実際は、「月によつて定められた賃金(同規則第一九条第二項)」とみなされている点からも明瞭である。
そもそも、郵政省、全逓信労働組合間の「俸給等の支払に関する協定(甲第一号証給与関係四四頁四六頁)」によれば、俸給支給日たる毎月九日及び二四日以外の日に支払われる賃金は、同協定第四条第七条及び同協定了解事項(四六頁)に定めるものに局限され、それ以外の給与は、すべて俸給支払日に支給されるところ、寒冷地手当、薪炭手当(石炭手当)は右第四条第七条及び了解事項に定める給与のいずれにも該当しないから、俸給同様、毎月九日、二四日に支払われなければならない。そして、「昭和三十年度における北海道勤務の非常勤職員に対する臨時手当(石炭手当および寒冷地手当相当額)の支給に関する協定(一七八頁)によれば北海道勤務の非常勤職員に対する寒冷地手当、石炭手当は、昭和三〇年一月一日から昭和三一年一〇月ないし翌年三月の六箇月に対して支払われた。これらの手当は、本来、九日、二四日に支払わるべきところ、特約により一定日に支払われたに過ぎない。このことは北海道以外の地域の寒冷地手当、薪炭手当についても同様でなければならない。例えば協定別表(二八一頁二八二頁)によれば非常勤職員に対する寒冷地手当の冬期期間を一級地ないし五級地に区分明定している。従つて本件寒冷地手当、薪炭手当は「月によつて定められた賃金」に該当することは極めて明かである。
次に郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当の支給日を九日、二四日以外の日と定めたことは争わないけれども、これは金額が僅少で、計算の煩に堪えず、受給者も纒めて支給されんことを希望したからであり、これらの手当は本来出来高払制及び月によつて定められた賃金に他ならない。これらの手当は一般国家公務員の勤勉手当と同視すべきではない。なお、協定がなければ職員は一週間実労四四時間を超え四八時間働くを要せず、また、この差四時間の稼働も割増賃金の対象となる。
由来労働基準法が時間外労働に対し割増賃金を支払う旨規定した所以のものは、使用者の利潤追及のために労働者が犠牲にされることを禁遏し、労働者をして健全な労働を供給し、文化的生活を確保させるにある。そして本件諸手当は実質上労務の代償労働力再生産の資源であり、また安定性を有し、かの扶養手当、通勤手当が偶然性に富むと異るところである。すなわち、寒冷地手当、薪炭手当(石炭手当)は寒冷地のみに要する生活資材等購入による実質賃金低減部分の補填を意味し、一律に支給される点は、勤務地手当と大差がなく、労務に直接結び附いているといつても過言ではない。
また如上能率向上手当、内務手当は労働密度の対価として一律に調整支給され、従つて、本来、俸給同様月ごとに支払わるべき筈のところ、額が僅少であるため労費を省くため一括支給されているに過ぎない。被告は叙上諸手当は、労働者が標準日に勤務していないときは支給されないことを理由に偶発給与に過ぎないとしているが、慣行上、実験則上、労務者が標準日に勤務していないことは稀有の事例に過ぎない。例外を原則に摺り換える所論は本末を顛倒するもので没常識も甚だしい。
再言すれば、終戦前北海道等の寒冷地では、毎月官公吏に支給される初任級は、寒冷地手当、石炭手当、薪炭手当が含まれているため他地のそれより二割高かつた。終戦後公務員制度の改革により給与体制も一変し、初任級が全国一律となつた。そこでこの矛盾を解消するため、寒冷地手当、石炭手当、薪炭手当支給制度が新設されるに至つた。そして、この趣旨を最初に採り入れた昭和二四年六月八日法律第二〇〇号「国家公務員に対する、寒冷地手当、石炭手当、薪炭手当の支給に関する法律」の第二条第一項に「その支給期間を通じて職員の俸給の月額と、扶養手当の月額との合計額の百分の二十に相当する額の四箇月分を超えて支給してはならない」と定められ、また、同条第二項に「その支給期間を通じて、支給すべき額の全部または一部を一括して支給することができる」と規定されている。これは、これらの手当は、本来一定の期間、すなわち、月ごとにこれを支払わなければならないが、ただ、例外として一括払も不能ではないということを明示しているものといわなければならない。この法意に立法機関の構成員として同法の発案成立に関与した千葉参議院議員の説明するところを斟酌すれば、同法の趣旨は(イ)前掲各手当を冬期間支給する(ロ)冬期間は予算不十分のため一応これを四箇月とする(ハ)これらの手当は本来月ごとに支払わるべきところ、受給者の利益のため一括前払されることもできるというにあり、薪炭手当が当初立法化されなかつたわけは予算の不足にあり、立法者が無関心であつたわけではない。昭和二七年法律第二八八号をもつて、郵政省と職員との労働関係について昭和二八年一月一日から公共企業体等労働関係法が適用されるに至つても、前掲法律第二〇〇号の趣旨が採り入れられ、否、寧ろ具体化されるに至つた。例えば、「昭和三十年度における北海道勤務の非常勤職員に対する臨時手当(石炭手当および寒冷地手当相当額)の支給に関する協定」その他の協定(一七八頁、北海道以外の地域に勤務する職員に対する寒冷地手当についても大体同趣旨である一八一頁、二一三頁、二二三頁、二八一頁、二八四頁)の如きである。殊に「昭和三十一年度において、北海道以外の地域に在勤する非常勤職員に対する臨時手当(寒冷地手当相当額)の支給に関する協定(二一三頁)」では、寒冷地手当が冬期間を通じて支給されるものであること(第二条)、冬期間とは四、五級地については一〇月一日から翌年三月三一日までの六箇月であること(第二条及び別表)が規定され、寒冷地手当が月ごとに分割これを支払うことができることを明文をもつて具体化している。なお「昭和三十二年度における石炭手当の支給に関する協定(二七五頁殊に第四条第五条)」においては、石炭手当の追給返納制度が確立され、この手当、従つてまた、これに準ずる薪炭手当、寒冷地手当も、また冬期間の労務に対する賃金たる性格を有することが理論的にも実際的にも証明された。薪炭手当、寒冷地手当についてまだ、石炭手当と同一の協定が取り結ばれていないが、これは、たまたま、郵政省が、別個の問題で全逓信労働組合との団体交渉を拒んでいるためで、右三手当の性格が異なるためでは断じてない。本件寒冷地手当、薪炭手当が冬期間提供した労務の代償としてその月ごとに支払わるべきところ、夏期一括前払されるわけは、前払が金利を稼ぎ、夏時冬期用物資を廉価で買い入れることができる点にあり、支払日が支払対象期間と一致しないことの如きは、これら手当が「月によつて定められた賃金」たるの性格を毫末も害しない。訴外森永製菓株式会社の如きは(イ)札幌工場の労務者に対しては一〇月から翌年三月まで月当一定金額、(ロ)仙台工場の労働者に対しては一二月から翌年三月まで月当一定金額をいずれも寒冷地手当として支給し、これらの手当をも残業割増賃金の基礎たる賃金に算入しているが、これは固より当然の措置であるといわなければならない。次に本件能率向上手当、内務手当は労働者の員数が固定化されるにつれ、仕事量が増大するため一定の目標を超える収益があつた場合に支払われる純然たる労働の対価で本来月ごとに支払わるべき筈のところ、口数が厖大であるに比し、金額が僅少であり、月ごとに支給するときは無用の労力、経費を要し、予算がないため已むなく一括清算支払われているに過ぎない。近時、支給対象たる労働量、従つてまた、支給金額も、また漸次固定化されつつあり、月割支払計算も容易になりつつある。これらの手当が一般公務員に支給される勤勉手当と同一でないことは、郵政省職員が本件手当の外、なお、いわゆる勤勉手当を支給されている一事によつても明瞭であると答えた。(立証省略)
被告鬼首郵便局長大場義郎指定代理人は、先ず、本案前の抗弁として、「本訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、その理由として、国の機関が訴訟当事者能力を有する場合は、行政事件訴訟特例法第三条所定の抗告訴訟と、性質上同規定を準用することができる行政処分無効確認の訴に限定され、それ以外の訴訟では民事訴訟法第四五条により、実体法上、権利義務の主体たる者だけが当事者能力を有するところ、原告主張の賃金給与の主体は被告国であつて、その一機関に過ぎない被告鬼首郵便局長大場義郎ではないから、同被告はもとより本訴当事者能力を有しない。もつとも、同被告が労働基準法第一〇条にいわゆる「使用者」に当たることは争わないが、同規定は同法遵守の責任、監督者及び同法違反受罰者の範囲を定めた取締規定に過ぎず、もとより、そのいわゆる使用者が当事者能力を有することを定めたものではない。よつて、同被告に対する本訴は、不適法として却下の運命を免れないと陳述し、
本案請求に対し、被告らの訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告が被告国に郵政省職員として雇われ、原告主張の郵便局に勤務し全逓信労働組合の組合員であること、郵政省と同組合との間には公共企業体等労働関係法の適法があること、原告の賃金は同郵便局において被告鬼首郵便局長大場義郎において支払つていること、同被告が労働基準法第一〇条にいわゆる「使用者」に当たること、原告主張の残業手当を支給したこと、本俸、勤務地手当、寒冷地手当、薪炭手当、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当がいずれも労働基準法第一一条にいわゆる「賃金」に該当することはこれを認めるがその余の事実を否認する。寒冷地手当、薪炭手当、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当は同法第三七条にいう割増賃金の基礎たる賃金たる同法施行規則第一九条第一項各号第二項の賃金のいずれにも該たらない。同規則第二一条第三号所定の「臨時に支払われる賃金」に過ぎない。なお、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当は、同規則第二一条第四号にいわゆる「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金」にも当たる。従つて、これらの手当は残業割増賃金の基礎たる手当でないことは労働基準法第三七条第二項同法施行規則第二一条第三号第四号によつて極めて明かである。
ところで、寒冷地手当、薪炭手当は、寒冷積雪地では、冬期燃料費、除雪費、衣料費、家屋修繕費等を要するため、これを補填するすなわち労務に関係のない生活補助の趣旨で支給される特別給与であり、地域によつてその額に差異があるところ、「冬期」といつても頗る不安定で、協約等でその期間を一律に何月から何月までと定めているわけではない。その年年の気候によつて左右されるから冬期を標準としてこれらの手当を定めることは不能である。仮に可能であるとしてもこれらの手当は冬期間の賃金の前払ではない。けだし、これらの手当は、法令の定める郵便局に労働協約または協定によつて定められた日(この日始めて勤務に就いたと否とを問わず、また、この日は一定していない)に在勤する職員に支給され、一旦支給された以上、その後受給者が受給不能地域外に転勤し、または退職しても返納するを要せず、また右期日の翌日以後受給可能郵便局に新たに雇われ、または転勤して来た職員は、これらの手当を受け取ることができない。してみれば、仮りに冬期を六箇月と協定した場合でも、一括支給額を六で除して得た額を月ごとに支払われる賃金額とすることはとうてい無理である。
今、これを割増賃金の基礎たる勤務地手当に比照するに、勤務地手当は、昭和三二年三月三一日まで昭和二八年一月一日郵政大臣と全逓信従業員組合との間に締結された「公共企業体等労働関係法第四十条により法律の適用を除外された労働条件の暫定的取扱に関する協約(甲第一号証「一般労働関係」一頁)」第一条により、それ以後は昭和三二年九月五日郵政大臣と全逓信労働組合との間に締結された「暫定勤務地手当に関する協定(甲第一号証「給与関係」二七一頁)」附則第四条により「一般職の職員の給与に関する法律」が準用される結果、昭和三三年三月三一日までは同法第一五条第一九条により、翌四月一日以降は同法第一五条第一九条、附則第二六項(昭和三二年六月一日法律第一五四号)により郵政省職員が働かないときはその時間に応じ賃金を減額される。然るに寒冷地手当は、前掲暫定協定により、「国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当の支給に関する法律」及び「国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当支給規程」が準用されるため、一定日に職員たる身分を有する限り、現実に勤務に服していない場合でも、なお全額が支給される。
薪炭手当は、昭和三一年一一月二六日郵政大臣と全逓信従業員組合との間に締結された「昭和三十一年度における薪炭手当の支給に関する協定(甲第一号証「給与関係」二二一頁)」によつて創設され、昭和三二年八月九日郵政大臣と全逓信労働組合との間に締結された「昭和三十二年度における薪炭手当の支給に関する協定(二五五頁)」第三条によつて前年度の協定どおり一一月二一日在勤する職員に対し、昭和三二年八月一五日全額支給された。
これらの点から観ても、寒冷地手当、薪炭手当が勤務地手当と異ることは極めて明白である。従つて、寒冷地手当、薪炭手当は労務の対価ではなく、また「月によつて定められた賃金」ではない。
次に、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当は、年二回、一定の期日に在職する職員に一定期間の能率、貢献に応じ支給される。従つて、これまた、「月によつて定められた賃金」でなく臨時に支払われる賃金に該当するばかりでなく、更に一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金(労働基準法第三七条第二項同法施行規則第二一条第四号)にも当て嵌まる。
よつてそうでないことを前提とする原告の本訴及び予備的請求はいずれも既にその前提において失当として排斥を免れないと陳述した。(立証省略)
理由
一、被告鬼首郵便局長大場義郎の当事者能力の有無
被告鬼首郵便局長大場義郎は同被告が原告主張の郵便局職員たる労働者の残業手当支給義務の存否を確認すべき当事者能力を欠如すると主張する。よつて按ずるに、同被告が労働基準法第一〇条にいわゆる使用者に当たることは同法及び関係法令により極めて明かである(この点については当事者間にも争がない)以上、郵政事業主たる国のため行動する法定の権利義務を有することは当然で、従つて、職員たる労働者が果して超過勤務すなわち残業をしたかどうか、したとすれば何時、何回、何処で、幾何の手当を支給すべきか、手当の基準如何、この基準に原告主張の諸手当が含まれているかどうか、その他諸般の関係を調査し、公共企業体等労働関係法、これに基く法令、協約、協定、契約等によつて実施すべきかどうかを判定し実施すべきものはこれを実施しなければならない法律上の責務を負うものといわなければならない。なお、行政事件特例法第三条は、抗告訴訟は他の法律に特別の定がある場合を除き処分庁を被告とすべき旨定めているところ、この規定は行政庁を被告として当該行政処分の無効確認を求める訴を禁ずる趣旨でないことは既に幾多の先例の存するところである。従つて叙上各般の趣意に稽え公法上の義務の履行たる本件手当給与の実施の機関たる同被告においても、また、本件給与義務存否確認の訴の当事者たる能力従つてまた適格を有するものと一応観えないわけではない。しかしながら本件係争六種の諸手当の支給は同被告において単に被告国(郵政省)と全逓信労働組合とが公共企業体等労働関係法等によつて協定したところに従つてその職務上機械的に実施するに過ぎず、その間自己の自由歳量を容れる余地が寸毫も存しない。このことは同被告が郵政省職員に関する事項について事業主国に奉仕する使用者として一歩その運営を誤れば刑辟に触れる(労働基準法第一〇条第一一七条ないし第一二一条)ことと必ずしも矛盾するものではない。よつて同被告に対する本訴は竟に不適法として却下の運命を免れない。
二、本案請求の当否
次に原告が被告国に郵政省職員として雇われ、原告主張の郵便局に勤務し、全逓信労働組合の組合員であること、郵政省と同組合との間には公共企業体等労働関係法の適用があること、原告の賃金は同郵便局において被告鬼首郵便局長大場義郎において支払つていること、同被告が労働基準法第一〇条にいわゆる「使用者」に当たること、原告主張の残業手当を支給したこと、本俸、勤務地手当、寒冷地手当、薪炭手当、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当がいずれも労働基準法第一一条にいわゆる「賃金」に該当することは当事者間に争がない。
よつて本件主要の争点たる寒冷地手当、薪炭手当、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当がいずれも「月によつて定められた賃金(労働基準法第三七条第一項、同法施行規則第一九条第一項第四号)」であり、なお、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当がいずれも「出来高払制によつて定められた賃金(同規則第一項第六号)」にも該当するか、はたまた、叙上六種の手当がいずれも「臨時に支払われる賃金(同規則第二一条第三号)」に他ならず、なお、郵便能率向上手当、電信電話能率向上手当、貯蓄奨励内務手当、共通内務手当がいずれも「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金(同規則第二一条第四号)」にも当て嵌まるか否かについて考える。
使用者が労働基準法第三三条、第三六条により、労働時間を延長した場合、休日に労働させた場合、午後一〇時から午前五時(主務大臣が必要と認める場合には午後一一時から午前六時)までの間において労働させた場合にはこの余剰労働については、通常の労働時間、労働日の賃金の二割五分以上の割増賃金を支払うことを要するところ、この割増賃金の基礎たる賃金には、家族手当、通勤手当、別居手当、子女教育手当、臨時に支払われる賃金、一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金を算入しないことは成法上疑がない(同法第三七条第二項、同法施行規則第二一条)。そして労働基準法で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与、その他名称の如何を問わず、労働の対価として使用者が労働者に支払うすべてのものをいうこと、賃金は毎月一回以上、一定の期日を定めて支払を要するが、臨時に支払われる賃金、賞与、賞与に準ずるもの(一箇月を超える一定期間の継続勤務に対して支給される勤続手当、一箇月を超える期間にわたる事由によつて算定される奨励加給、能率手当)は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払うことを要しないことも、また、成法の明規するところである(同法第一一条第二四条第三七条、同法施行規則第八条第二一条)。なお、出来高払制にあつては使用者は労働時間に応じ一定の賃金を支払わなければならないことはいうまでもない(同法第二七条)。
ところで、労働基準法第三七条第二項、同法施行規則第二一条によれば、家族手当、通勤手当、別居手当、子女教育手当、臨時に支払われる賃金、一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金は、労働基準法第三七条第一項の割増賃金の基礎たる賃金に算入することができない。そして、これらの手当のうち、家族手当、別居手当、子女教育手当は、たまたま、郵政省職員であるというだけの理由で支給される給与であつて、形式上はもちろん、実質上も労務の対価(実質賃金減少部分の補填)ではない。従つて、本件「割増賃金の基礎となる賃金は労務の対価たる賃金に限る」という被告の見解はこの限度において正当である。しかしながら通勤手当なるものは、通勤費を要する職員にのみ支払われ、これを要しない者には支給されないところ、通勤費は結局その額だけ賃金の減少を来たすことは当然で、その補填のために支給されるものであるから実質上の賃金を意味することは疑がない。従つて、本件係争手当が「月によつて定められた賃金(労働基準法第三七条第一項、同法施行規則第一九条第一項第五号)」または「出来高払制によつて定められた賃金(同上第六号)」であるか、あるいは、また、「臨時に支払われる賃金(労働基準法第三七条第二項、同法施行規則第二一条第三号)」または、「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金(同上第四号)」に当たるかは、これらの手当が実質上労務の対価であるかどうかという一事によつて決定することは困難であり正当ではない。その標準はこれを別個の点に求めなければならない。のみならず、本件係争諸手当が全然労務の対価でないと断言することも正当でない。本件能率向上手当、内務手当が労務の対価に他ならないことは、成立に争がない甲第一号証の該当欄を通読することによつて極めて明瞭であつて被告の全立証によつてもこれを左右することができない。また、寒冷地手当、薪炭手当は、寒冷地在勤者が冬期非寒冷地在職者の必要としない多額の燃料費、暖房費、被服費、除雪費、家屋修繕費等を要し、それらの額だけ労務の対価たる賃金が削減されるからこの不足部分を補うために支給される給与であり、従つて被告主張の単純な生活手当ではなく、実質上労務の対価たる賃金と選ぶところがないことも如上証拠によつて疑う余地がない。もつとも、これらの手当はもちろん、能率向上手当、内務手当も特定の日に郵政省職員として在勤する者に支給されるけれども、職を得ることが極めて困難な当世にあつては特定日の前日まで在勤し支給日に離職する者は極めて稀であり、また、ことさら特定日に転任するが如きことも労務者の利益を慮るこの種制度の運用上、殆んど想像することができないところであり、なお、また、特定日に在任した者がこの種利益にあずかることも、この種制度が本来労働者を優遇してその勤労意欲を発揚させんとするにある当然の措置であるから、本件諸手当が特定日に郵政省職員として在勤する者に支給されることを根拠として、これらの手当が実質上の賃金でないと断ずることは稀有の、否、全然あり得べからざる事例に想いを馳せて本則を忘れるもの、その可なる所以を知るに苦しむ。従つて本件手当がすべて実質上の賃金ではないという所論は採用の価値に乏しい。
次に本件手当が本来「月によつて定めることができる」または「出来高払制によつて定めることができる」かどうかという点と、「現実に月によつて定められている」または「出来高払制によつて定められている」かという点とはこれを区別しなければならない。すなわち寒冷地手当、薪炭手当は、冬期を対象として支払われる賃金であるところ、これらの手当はこれを「一〇月ないし翌年三月まで毎月末日金何円支払う」などというふうに月別に割り当てることができないわけではない。また能率向上手当、内務手当の如きも、職員の仕事の実績、貢献程度を勘案これを対象とする以上月別支払または出来高払に親しまないわけではない。現に、前掲甲第一号証(「給与関係」一八五頁、昭和三〇年八月三一日、郵政省と全逓信従業員組合との間に締結された「昭和三十年度において、北海道以外の地域に在勤する非常勤職員に対する臨時手当(寒冷地手当相当額)の支給に関する協定」)によれば、寒冷地手当支給期間を五種に分かち、一級地は昭和三〇年一二月一日から昭和三一年一月末日まで二箇月間、二級地は昭和三〇年一二月一日から昭和三一年二月末日まで三箇月間、三級地は昭和三〇年一一月一日から昭和三一年三月末日まで五箇月間、四級地は昭和三〇年一〇月一日から昭和三一年三月末日まで六箇月間、五級地は昭和三〇年一〇月一日から昭和三一月三月末日まで六箇月間としていることが明かである。また、成立に争がない甲第三号証(「昭和三三年度における石炭手当の支給に関する協定」)によれば、郵政省勤務の一定職員が石炭手当受給後七月一六日から翌年一月三一日までの間に離職した場合には、受給金額の二〇ないし八〇パーセントの金員を返還しなければならないことが明白である。なお、また、成立に争がない甲第二号証の一によれば、本件労資間の協約、協定の母法たる「国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当及び薪炭手当の支給に関する法律(昭和二四年六月八日法律第二〇〇号)」第二条に、寒冷地手当、薪炭手当はその支給期間を通じ一定の金額を超え支給することができないが、その全額または一部を一括支給せず、月ごとに分割して支払うことができることを示唆している。更にまた、証人田上武治の陳述、同陳述により真正に成立したと認める甲第四号証を綜合すれば、訴外森永製菓株式会社、全森永労働組合間の労働協約にあつては、寒冷地手当、生活保証手当、作業手当をも、また、超過勤務割増賃金の基本たる賃金に包含させなければならないことを明記している。従つて今これらの点を彼此比照吟味綜合すれば、本件能率向上手当、内務手当はもちろん、寒冷地手当、薪炭手当も、また本来必ずしも割増賃金の基本たる賃金とすることができないものではないことを窺うに難くはない。もつとも本件寒冷地手当の額は如上のように、俸給月額と、扶養手当月額との合計額の八割以内、また、薪炭手当の額は世帯主たる職員に対しては五、〇〇〇円以内、その他の職員に対しては一、七〇〇円以内とされ、いずれも予算の範囲内たるを要するのみならず、扶養手当は割増賃金の基礎たる賃金に算入することができないから、寒冷地手当の基準に扶養手当の額もまた参酌される以上、寒冷地手当は本件割増賃金の基礎たる賃金ではないのではあるまいかという疑を生ずることは当然であるけれども、寒冷地手当の基準額にはまた、俸給月額も包含され、俸給月額が割増賃金の基礎たる賃金に該当することはいうまでもないところであるから、寒冷地手当の基準は一面割増賃金の基礎たる賃金であり、他面この賃金ではないという他がない。ただ、しかし、俸給月額と扶養手当月額とを比較すれば前者は後者よりも遥かに大であることも実験則上明かであるから、寒冷地手当が全然月によつて定める賃金に実質上も親しまないと断ずることはやや行き過ぎである。しかしながら、
(イ) 寒冷地手当は叙上のように比較的微少ではあるが本来割増賃金の基礎にすることができない扶養手当(家族手当)(労働基準法第三七条第二項)をも基準としていること、
(ロ) 薪炭手当は、世帯主たる職員に対しては五、〇〇〇円以内、その他の職員に対しては一、七〇〇円以内というふうに世帯主であるかどうかというような労働に直接関係のない偶発事態が支給額に影響を及ぼしていること、
(ハ) 本件諸手当は、年一回または二回一括支給されること(月ごとに支給することは必ずしも不能ではないが、なるべく取り纒めて支給すれば多大の労費を省くことができ、また、寒冷地手当、薪炭手当を夏期一度に支給すれば受給者において金利を取得し廉価な冬期生計必需品を入手等することができるためであることは証人田上武治の陳述によつて明かである)、
(ニ) 本件諸手当支給協定の母法(なお協定では明文をもつてこの母法によるべき部分を指示する場合も少くない)たる前掲昭和二四年法律第二〇〇号第二条及び総理府令の運用に際つても、国が国家公務員に対し、未だかつて、寒冷地手当、薪炭手当を月ごとに分割し、割増賃金の基礎たる賃金に算入した事例がないことが公著な事実であること、
(ホ) 本件諸手当を割増賃金の基礎たる賃金に算入するときは、割増賃金額が相当厖大になり国の予算に相当影響を及ぼすことが当裁判所に顕著な事実であるから、給与者の明礎な意思を探究せず軽々に取り扱うことが極めて危険であること、
(ヘ) 成立に争がない甲第三号証(「昭和三十三年度における石炭手当の支給に関する協定」)によれば、本件労資間の協定において、昭和三三年度における石炭手当の追給返納制度を新たに採用しているが、これは石炭手当についての従前の取扱と著しく異なる協定ではあるが、形式的には(実質的にはさて措き)従前の一般協定の例外を成するものといわざるを得ないから、この趣旨を類推して本件諸手当にも当然追給返納制度が採り入れられなければならないというべきではない(この類推が許されるとすれば本件手当の給与者にはもちろん、受給者にも重大な利害を及ぼすから、これまた、当事者の明示の意思表示を俟たないで軽々に断ずべきではない)こと、
(ト) 前掲森永製菓株式会社、全森永労働組合間の協約において、寒冷手当、生活保証手当、作業手当を残業割増賃金の基礎にする理由は、これらの手当が実質上労務の対価であるかどうかということを研覈の結果労務の対価であることが判明したという点にあるのではなく、寧ろ、これらの手当を右割増賃金の基礎とすることが協約上明文化されている点にあり(これを明文化した理由が奈辺にあるかは問う所ではない)、今、もし、かような明文がなければ、右労資間においても右諸手当が当然割増賃金の基準となるものとして取扱うことに頗る疑義があること、従つて明示の協約もしくは協定を俟たずこれを積極に解することは頗る危険でであること、
(チ) 郵政省職員が夏冬二回支給される賞与(期末手当と奨励手当とより成る、この点は一般国家公務員に支給される賞与が期末手当と勤勉手当とより成ると異る)が、実質上、労務の対価に他ならないことは証人田上武治の陳述によつて明白であるけれども、これを協約、協定をもつて「月によつて支払われる賃金」「出来高払制によつて支払われる賃金」とすることができるにかかわらずかように取り扱われないで「月を超える期間ごとに支払われる賃金」とされている理由は、月または出来高により支払われる賃金であるという当事者の意思が明文をもつて表示されていない点にある。このことは、本件諸手当の性格をトするについてもまた資すべきところが少くないこと、
(リ) 寒冷地手当、薪炭手当は、夏期支払われることを常とするが、月をもつて支払われる賃金の前払ではなく、やはり、若干過去の労働実績をも参酌して決められていること(このことは、賃金の前払が会計法第二二条第一七条等によつて厳禁されており、当事者がこの禁を犯してまで協定するようなことは普通考えられない点からも容易に理解することができるところでなければならない)、
(ヌ) 前掲昭和二四年法律第二〇〇号が寒冷地手当、薪炭手当の一括支給を許容し、前掲総理府令はこの法律に基いてその一括支払制度を設けたこと(従つて、証人山崎忠博の総理府令違法説は当たらないこと)、
(ル) 本件能率向上手当、内務手当がいずれも上半期及び下半期の業績または貢献の度合に応じ年二回、特定日に在勤する職員に給与されることは甲第一号証によつて明白であること、
等を勘覈綜合すれば、ある給与が「月によつて定められた賃金」「出来高払制によつて定められた賃金」であるか否かは、単に、その給与が実質上労働の対価であり本来月または出来高払制によつても定められ得る賃金であるか否かということによつて決するを得ず、須らく、これに強行法令、労働協約、協定、取引上の慣習、任意法規、条理(殊に、当事者の負担均衡、国の予算)をも参酌して定めるべきであり、そして、この見地に立てば、本来の性格はさて措き、この給与が形式上、月または出来高払制によつて定められているかどうかという契点によつて決しなければならない。
けだし、労資間殊に公共企業体等労働関係法の適用を受ける労資間の給与体制にあつてはこれを明確な意思表示によつて形式化しなければ複雑強力な団体行動を推進し、労資双方の責任を自覚させ迅速果敢な運営を期待することができないからである。一般に労働組合法は社会性、公共福祉性を多分に具有する。豈んや公共企業体等労働関係法においておやである。そして公共的法律関係が公定化明文化を尊び、また、尊ばなければならないことはいうまでもない。宜なる哉、労働組合法第一四条公共企業体等労働関係法第三条は「労資間の労働条件その他(従つてまた当然給与)に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名(または記名捺印)しなければその効力を生じない」としている(また、労働組合法第一五条第三項、公共企業体等労働関係法第三条も「有効期間の定がない労働協約は当事者の一方が署名(または記名捺印)した文書によつて予告しなければ解約することができない」としている)。もつて知る。本件給与について明文の比重の大なることを。すなわち要は明文にあり、実質にはない。形にあつて内容にはない。利害が多岐深刻に錯綜結集対立する団体行動を規整するには定律化形式化明文化に俟つ他がない。
従つて本来、労務の対価であり、または実質賃金減少部分補填金であつて本来「月または出来高払制」によつて支払われる賃金と定めることができる賃金であつても、これを「臨時に」または「一箇月を超える期間ごとに」支払われる賃金と、法令または協約、協定上明文をもつて定めることができ、かように明定したときは、その実質に合致するや否やを問わず、この賃金は竟に臨時にまたは一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金となり、従つて割増賃金の基礎たる賃金に該当しない。また、逆に、本来、労務の対価または実質賃金補填金ではなく、本来、臨時に、または、一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金であつても、苟しくも、法令、協約、協定上明文をもつて、月または出来高払制によつて支払われる賃金であると定めたときは、この賃金は竟に割増賃金の基礎たる賃金に他ならない。要は明定の存否にあり、性格にはない。そして、本来月、または出来高払制によつて支給を受けることができる賃金であつてもその趣旨が法令または協約若しくは協定に全然疑がない程度に明記されていない以上、仮りにこれを若干疑わせる記載があつても、なお、竟にこれを割増金の基礎たる賃金と断ずることができない。否、これを消極に解する他がない。けだし、以上若干疑わせる記載がある場合においてこれを積極に解することは、一歩その取扱を誤るときは使用者のみに極めて重大な出捐義務を負わせることになり労資双方の負担均衡利益保全の原則に反するからである。従つて、かような危険を孕む文言はなるべく慎重にすなわち消極に解すべきことは、労資関係を調整する必要からみて当然の措置といわなければならない。然るに、本件においては、これを疑わせる法令、協約、協定すらも殆んど存しない。
更に一例を挙げれば、昭和三二年一二月二七日郵政省と全逓信労働組合との間に締結された「超過勤務手当、休日給および夜勤手当の支給額算出に用いる勤務時間一時間当り給与額の調整に関する覚書(甲第一号証「給与関係」三〇八頁)によれば、一定の給与附加(割増)額の対象となるべき手当として遠隔地手当を掲げ、この手当も「月によつて定められた賃金」で割増賃金の基準たる賃金であるとしている。由来、この遠隔地手当なるものは、強いていえば実質賃金低下額の補償金に他ならないが、直接には労務の対価ではない。そして、かように、労務の対価でない手当をも附加賃金の基礎とする理由は、一にこの覚書がこの手当をも附加賃金の基礎にすべき旨明記しているからであり、この手当が本来割増賃金の基礎たる性格を有するためではない。従つて今仮に、作業手当、技能手当のように現実直接に労務の対価たる手当も、その、これを附加額の対象となる旨右覚書に明記されていなかつたとすれば、これを割増賃金の基礎とするわけには参らない。明記が決定点であつて実質は問題ではない。
前掲全森永労働組合員が森永製菓株式会社から、寒冷地手当、生活保証手当をも参酌して算出された割増賃金を支給されるわけは一にかかつて両者間の労働協約にその旨明掲されている点にあり、寒冷地手当、生活保証手当が本来割増賃金の基礎とするに足るからではない。そして本件労資間の諸協定では、本件諸手当は寒冷地手当、薪炭手当にあつては年一回、能率向上手当、内務手当にあつては年二回、いずれも特定の日に在勤する職員に対し、協定の定める日に支給され、右諸手当に関する限りこれを毎月一回以上または出来高に応じ支払う旨の取り決めが全然存せず従つてまた、もとより明文化されていない。そして、この取り決めの存しない理由は多大の労費の省略と敏速果敢な事務処理とを必緊事とする点にある。しかし、この理由の存否は本件ではさまで重要な問題ではない。問題は協約または協定にかような点が一目瞭然に記載されているかどうかにある。例外的に片鱗を現わしているだけでは呑舟の魚、氷山の一角と断ずるわけにはいかない。原則的に否全面的に歴然明確一点の疑義をも残さない程度に表現されていなければならない。解釈次第で結果が逆になるような疑義の存する表現は真の表現ではない。国の郵政事業を安殆にし、その職員の生活を護るには物事に晰然けじめを附けなければならない。無数の職員を擁する公共事業においては、互に、出所進退を明確にしなければならないと同じように給与体制もまた当然整然明徹でなければならない。年に一度または二度、特定日に在勤する職員に手当を支給するという表現を、月または出来高払制によつて定められた給与であると断ずることは相当飛躍であり、この間隙を充塞することができる明確な協定こそ本件の決め手でなければならない。再言すれば、本件諸給与が「臨時に支払われる賃金」または「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金」であるか否かは暫らく措き、その「月によつて定められた賃金」または「出来高払制によつて定められた賃金」であるといわんがためには当事者の取り決めた協約、協定にその旨明記(またはこれに準ずる程度に明確化)されていることを要し、されていない以上、これを積極に解することは、もし、まかり違つていれば利害関係人に重大な損害を加えるばかりでなく、その波及するところが甚大であるから慎しまなければならない。否、寧ろこれを消極に解する他がない。
果して然らば、本件諸手当が月または出来高払制によつて定められた賃金であることを前提とし、割増金の追給を求める原告の本訴請求及び予備的請求は既にその前提において失当として排斥を免れない。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条に則り主文のように判決する。
(裁判官 中川毅 小林謙助 佐藤邦夫)
(別紙目録省略)